現代女性のファッションの礎をつくったといっても過言ではない、ココ・シャネル。
貴族階級ではない出自から、画期的なファッションを送り出し、大企業のトップ、そしてフランスの至宝にまで登りつめたシャネル。
まさにキャリアの最盛期を迎えていました。
そんなシャネルに人類史上最悪といわれる戦争が多大な影響を及ぼします。
シャネルの転落と復活
1939年第二次世界大戦へと突入。一気に不況となったヨーロッパで、当時4,000人を抱える大企業として成長したシャネルは、労働者のストライキが追い討ちをかけ、経営が悪化。
シャネルは一部店舗を残し全てのビジネスを閉鎖し事実上の引退をしました。
翌年1940年、パリは、ヒトラー率いるドイツ軍に占領されます。そのとき、シャネルの人生の汚点となる出来事が起こります。
パリを占領していたドイツの高級幹部ヴァルター・シェレンベルク親衛隊少将との愛人関係となっていました。
シャネルが望んだ関係なのかは定かではありませんが、その当時、ヨーロッパではドイツが勝利することは確実な情勢。
強い男に魅かれる女性の気持ちを考えれば、やむをえないことなのかもしれません。
しかし、アメリカの参戦で状況が一変します。1944年、ドイツ軍が降伏し、フランスが解放されるとシャネルは逮捕され、裏切り者としてフランス中からの非難を浴びます。
その後、交友のあったイギリス首相ウィンストン・チャーチルの計らいで釈放され、戦後スイスのローザンヌで亡命生活を送り、ココ・シャネルの名はファッション界から消えていきました。
しかし、女性ファッションの変革者であり、生ける伝説となったココ・シャネルを時代は求めます。
1954年、15年間の長い沈黙からパリに戻ったココ・シャネルは、ホテル・リッツに住まいを構え、ファッション界へカムバックします。
このとき、ココ・シャネル70歳。
「人生がわかるのは逆境のときよ」
翌年ココ・シャネルは、女性の社会進出の象徴となるような上着とスカートのツー・ピースの機能的なツイードの新たな「シャネル・スーツ」を発表。
アメリカで人気が爆発し世界的な大流行となりました。生涯独身を貫いた生ける伝説のファッションデザイナーは70歳を過ぎても健在だったのです。
それから16年後のある日、住居としていたパリのホテルで、コレクションの準備中に87歳に渡る激動の生涯を終えました。
パリを愛し、フランスに愛されたシャネルですが、第二次世界大戦中のドイツへの協力とフランスへの裏切り行為により、
パリの高級墓地への埋葬を拒否され、スイス・ローザンヌの墓地に埋葬されることになったのです。
「本物のエレガンスは、自分で創り出す存在の美しさである」
セレクトショップ・シンフーライフ 店長/ウェブマーケティング/バイヤー
10年以上のバイイングとECサイト販売の経験から得た商品選びのポイントや業界裏情報、自分が働いている中で衝撃を受けたファッションの話題を提供しています。